『ファイナルファンタジー』は1987年12月18日にファミリーコンピュータ用ソフトとしてスクウェアから発売されたロールプレイングゲーム。
略称は『FF』。
現在までも続編・派生作品が制作され続けている日本を代表するRPGの記念すべき第1作目である。
『ファイナルファンタジー』シリーズ
1987年に発売された本タイトルを第1作目とする日本製RPGシリーズ。
派生作品を含め様々な世界観を持った作品が数多く発売されており、2017年時点でのシリーズ全タイトルの世界累計出荷・ダウンロード販売は1億3,500万本以上を達成した。
ナンバリングタイトルだけで15作、派生作品まで合わせると87タイトルにも及び「最多の作品数を有するRPGシリーズ」として2017年にはギネス世界記録に認定されている。
初代『ファイナルファンタジー』
本作が発売された1987年、ファミコン市場は空前のRPGブームであった。
エニックスの『ドラゴンクエスト(1986年)』『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々(1987年)』の大ヒットによりRPGと言うジャンルの楽しさを知ったファミコンユーザーたちはRPGに飢え、新たなRPGソフトを求めていた。
当然ながら各メーカーはこぞってRPGタイトルのソフトを発売したが、どれも『ドラゴンクエスト』のシステムを踏襲したオリジナルティの乏しいものばかりであり、プレイヤーの満足を得るに至るタイトルはほとんど無かった。
そんな中ファミコン情報雑誌である『ファミコンマガジン』や『ファミコン通信』の発売前の新作情報でゲーマーたちの期待を一身に集めたのが本作『ファイナルファンタジー』であった。
公開情報の内容や、掲載されているプレイ画面からしても他メーカーのRPGに比べると明らかにクオリティーが高く、『ドラゴンクエスト』とは違う独自のゲームシステムを採用したことにより斬新でもあり好評であった。
ストーリー
土、火、水、風の4つの力がさえぎられ、暗黒に包まれた世界。
人々は世界を救う「光の戦士」の伝説を信じ、待ち続けていた。
長い長い旅の果てに、光の戦士の証である4つのクリスタルを手にした4人の若者がコーネリアの地へと辿りつく。
そのころコーネリアでは、かつてこの王国のナイトであったガーランドによってセーラ姫がさらわれるという事件が発生していた。
戦士たちは、王の願いを聞き入れ、ガーランドが立て籠もるというカオスの神殿へと向かうことになった。
ガーランドを倒し、姫を取り戻した戦士たち。
王はその感謝の印としてコーネリアの北にある橋を修復させた。
失われたクリスタルの輝きを取り戻し、世界に再び平和をもたらすために、戦士たちは橋を渡り、未知なる大地へと旅立つ。
ゲームシステム
戦闘
この頃ほとんどのRPGが『ドラゴンクエスト』のような敵を正面に置いた戦闘画面であったが、本作はサイドビューの戦闘画面であった。
攻撃に合わせキャラが剣を振るなどアニメーションし、ダメージにはエフェクトが掛かるなど動きのある戦闘は非常に斬新であった。
他にもマジックポイント制度ではなく回数制限による独自の魔法システムを採用しているなど、案に『ドラゴンクエスト』のシステムを模倣するだけでないところも好感が持てる。
移動手段
この時代のRPGの移動手段は“徒歩”か“船”が一般的であった。
しかし本作は徒歩・船以外にも河を移動する“カヌー”、さらには大空を翔ける“飛空挺”など様々な乗り物が登場する。
これらの存在は冒険をより一層ワクワクさせてくれるギミックとなり、ゲームへの没入感を高めてくれた。
ジョブの概念
それまでのRPGのマイキャラクターは、あらかじめ設定された職業であることが一般的だった。
しかし本作は4人のパーティーメンバーを黒魔術士・白魔術士・赤魔術士・戦士・モンク・シーフから好きなように選ぶことができる。
4人とも同じ職業にすることも可能であり、物語の中盤では上位職業へジョブチェンジできるイベントも発生する。
本作で確立されたジョブシステムはその後のシリーズや、他メーカーの作品でも採用され、RPGジャンルに大きな影響を与えた。
演出
ストーリーにおける演出もかなり凝っており、まるで映画を見ているかのような展開にプレイヤーは驚いた。
現在でこそRPGの演出にはドラマティックなものが多いが、当時は王道的なものがほとんどで、プレイヤーの意表をつくような展開は少なかった。
それに比べ本作の演出は衝撃であり、この時代においては革命的なレベルだった。
数々の拘られた演出はゲームスタート直後から導入されており、通常は電源を入れるとまずはタイトル画面が表示されるのがセオリーであったのに対し、本作は(キャラ設定をしたら)いきなりゲーム開始となる。
ゲーム開始数分ですぐにボスキャラであるガーランドとの対決。
ガーランドを倒し、姫を救出したのち探求の冒険に旅立つ主人公一行。
そこで初めてシリーズ共通の代表BGMとなるメインテーマが流れ、オープニングが始まる。
“ここから壮大な冒険が始まる”という期待を膨らませる最高の演出であった。
幻想的なBGM
本作を語る上、外せない話題のひとつが数々の素晴らしいBGMであろう。
プレリュード、メインテーマ、戦闘、ファンファーレ…。
植松伸夫作曲の探求の旅の物語を彩る数々の素晴らしい楽曲。
本作のBGMのクオリティーは非常に高く、のちにシリーズ化される『ファイナルファンタジー』の音楽担当も一貫して植松氏がが手がけることとなる。
筆者も『ファイナルファンタジー』シリーズのBGMの大ファンであり、Ⅸまでのサントラを所持しており定期的に鑑賞している。
ファイナルファンタジーの奇跡
スクウェアは『ファイナルファンタジー』が発売される前にも『テグザー(1985年)』や『キングスナイト(1986年)』など、いくつかのタイトルを発売していたが売上はあまり芳しくなく1987年には経営難に陥っていた。
経営陣はこの『ファイナルファンタジー』が売れなければ会社をたたむ事を決め、社運を賭けた最後の願いを込めて開発した。
“最後の夢”を託すという意味で『ファイナルファンタジー』というタイトルに決定したのだ。
そしてスクウェアはその運命の発売日を12月18日とする。
これは子供たちがサンタさんにファミコンのカセットをお願いする、いわゆるクリスマス商戦を睨んでの決定だった。
前述した通り本作の前評判は非常に高かったが、本作を大ヒットさせ成功するには最大の難関が待ち受けていた。
それは『ファイナルファンタジー』発売日の2日後である12月20日に、ある国民的RPGとまで評される超大作シリーズの3作目の発売が予定されているという事であった。
『ドラゴンクエスト3』である。
確かに『ファイナルファンタジー』は魅力的なRPGゲームではあったが、過去2作をヒットさせた実績がある『ドラゴンクエスト3』に比べてしまうとどうしても霞んでしまう。
さらに当時の子供たちにとってファミコンソフトとはとても高価なおもちゃであり、誕生日やクリスマスなど特別な日にしか買ってもらえない物である。
そんなファミコンソフトを同時に2個買ってもらえる子供なんてほぼ居ないだろう。
同時期に発売する、まだ知名度の低い『ファイナルファンタジー』と超人気大作のナンバリングタイトルである『ドラゴンクエスト3』を天秤に掛けると、やはり『ドラゴンクエスト3』に軍配が上がる。
子供たちがサンタさんにお願いするプレゼントは『ドラゴンクエスト3』に集中し、必然的に『ファイナルファンタジー』はそこまでは売れないだろうというのが、業界での大方の予想であった。
しかし奇跡は起こった!
ドラクエ3がまさかの発売日延期を発表したのだ。
当時ファミコン市場はその人気の高さゆえ、慢性的なROM不足に悩まされていた。
前作『ドラゴンクエスト2』の発売時に40万本用意したソフトはあっという間に売り切れ、品薄状態が続いた教訓を踏まえ十分な本数を用意してからの発売にしたいエニックスの判断により、当初の12月20日から2ヶ月後の2月10日に発売日を変更させたのだった。
これによりサンタさんに『ドラゴンクエスト3』をもらい、冬休みは冒険に旅立つ予定だったファミっ子たちの予定が大きく狂ってしまった。
この発売延期が大きな要因となりRPGを渇望していた子供たちの欲望の矛先が、12月18日発売の新作RPGである『ファイナルファンタジー』に一気に注がれたのだった。
結果『ファイナルファンタジー』は大ヒットとなり、当時としては異例である52万本の売上となった。
このヒットでスクウェアは飛躍の足がかりを掴み、その後は『サガ』シリーズ、『聖剣伝説』シリーズ等のRPGを主に制作、一気に大手メーカーとなっていく。
もちろん『ファイナルファンタジー』シリーズも次々と続編が制作され、『ドラゴンクエスト』と共に“日本のRPGの2大巨塔”としてファミコン史上に名を連ねていく事になるのであった。
もしも『ドラゴンクエスト3』が延期せず発売された場合、発売時期が被った『ファイナルファンタジー』はそこまで販売本数が伸びなかった事が予想され、最悪スクウェアは倒産、ひいてはその後のゲーム業界の歴史も大きく変わっていた可能性もある。
その16年後の2003年にスクウェアとエニックスはスクウェア・エニックスとして合併して世間に衝撃を与える。
いやはや事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ(笑)。
筆者と『ファイナルファンタジー』
『ファイナルファンタジー』が発売された1987年12月18日は金曜日だった。
当時小学生だった筆者は、『ファイナルファンタジー』の発売日を心待ちにしていた。
しかし発売日当日、風邪をひいてしまったのでゲームを買いに行くどころか学校さえも休むことに…。
これにはかなり落ち込んだものだ(笑)。
しかしなんと母親が夕飯の買い物のついでに本作を買ってきてくれた!
普段はファミコンで遊んでいると「外で遊びなさい!」と文句ばかりの母親だけど、落ち込む我が子の姿を見ての優しさだった。
その夜はまだ熱が下がりきってないにも拘らず、夢中になって遊んだ思い出は今でもはっきりと憶えている。
『ファイナルファンタジー』シリーズはその後、いくつもナンバリングタイトルを発売していくことになる。
筆者もいくつも遊んできたが、この初代『ファイナルファンタジー』をプレイした時の感動は一番深く心に刻み込まれているかも知れない…。
今回は日本を代表するRPGシリーズの記念すべき第一弾『ファイナルファンタジー』の紹介でした。
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