『パックマン』は1984年11月2日にファミリーコンピュータ用ソフトとしてナムコより販売されたドットイートゲーム。
英語表記は『PAC-MAN』。
オリジナルは1980年5月22日にナムコにより稼働されたアーケードゲーム。
のちに様々なプラットフォームに移植されたナムコの看板タイトルである。
『パックマン』とは
『パックマン』は云わずと知れたナムコが世界に誇るゲームタイトルでありドットイートゲームの金字塔である。
世界で最も知られた日本産のコンピューターゲームのひとつであり、アメリカでも人気を博した『パックマン』は“80年代のミッキーマウス”とも称された。
フィールド上に羅列されたドット(点)を残さず取得すればクリアとなるシンプルなシステムであり、のちにこのスタイルのゲームは本作に因んで“ドットイート型アクション”と呼ばれる様になった。
ただしドットイート型アクションの先駆けはSEGAが1979年に稼働させた『ヘッドオン』と言われている。
女性向けに開発されたゲーム
1979年、この時代は『インベーダーゲーム』ブームの影響により、ゲームセンターには戦争を題材としたシューティングゲームが溢れかえっていた。
『パックマン』の産みの親である岩谷徹は「これでは女性が入りづらいのでは?」と考えていた。
そこでゲームセンターの雰囲気を殺伐としたものから、和やかな場所へと転換することをひとつの方向性として本作は企画された。
女性をメインターゲットに絞ったタイトルは当時としてはかなり珍しかったという。
女性に好感を持ってもらうためにキャラクターは可愛らしくし、敵を倒すのではなく敵から逃げつつ食べる事を目的としたゲームとなった。
基本コンセプトとなった“食べる”というキーワードは女性であれば食べることに興味を持つだろうという点からヒントを得たものである。
さらに女性でも遊びやすくするために4方向レバーのみを採用しボタンを利用しないシステムや、緊張が長引かないよう”コーヒーブレイク“というデモアニメーションを導入するなどの工夫を随所に施した。
結果として企画者の狙い通り女性客を引き込むことに成功し、最終的には世界規模の大ヒットへと結びついた。
『パックマン』に纏わる逸話のあれこれ
ナムコの看板キャラクター
本作の大ヒットにより、それまで「デパート屋上の遊具を作る会社」だったナムコは「ゲームを作る会社」へとシフトアップした。
会社への多大な貢献を成したことを称え、『パックマン』はナムコを象徴するマスコットキャラクターとして扱われた。
それは2021年現在のバンダイナムコゲームスになっても変わっていない。
英語表記問題
本作はアメリカのゲーム会社Midway Gamesにライセンス供給され、1980年12月からアメリカでも稼働された。
瞬く間に大人気となり、こちらでも大ヒットする事となった。
当初英語表記名は『PUCKMAN』であったが、Pの一部を削られ『FUCKMAN』に変えられる悪戯を懸念したMidway Games社がナムコに変更を要請し『PAC-MAN』に変更された経緯がある(笑)。
パックマン誕生秘話
開発者の岩谷徹は「ピザを食べている時に『パックマン』の形を閃いた」という伝説の逸話がある。
しかし真相は『パックマン』の色と形は黄色くて丸いものが一番存在感を示せるという理由で決定され、そのキャラクターが食べる動作をすると偶然ピザに似ていたという、いわゆる後付けであった旨を語っている。
インタビュー時にリップサービスで「ピザから思いついた」と語ったのが広く信じられるようになったため、伝説になっていたからそういう事で押し通したらしい(笑)。
最後に
前述したように数々の逸話を残し、世界中で愛された本作は発売開始となった1980年から7年間で総販売枚数293,822枚を記録し、「最も成功した業務用ゲーム機」としてギネスブックにも載っている。
様々なハードに移植・リメイクをされている本作であるが、シンプルな操作方法と可愛らしいキャラクターというコンセプトはハードを変えても受け継がれている。
ファミコン初期の段階で『ギャラクシアン』に続くナムコットブランド第2弾として『パックマン』もファミコンへと移植された。
ファミコン版でのヒットを受け、続編である『パックランド』も1985年に移植されている。
40年以上もの間、世界中のゲーマーを楽しませ続けてくれている『パックマン』。
2021年現在ではNintendo Switch Onlineにて『パックマン』のルールでオンラインで繋がる世界中のプレイヤーとバトルロワイヤルを楽しめる『PAC-MAN99』が無料配信されているのでぜひ遊んでみて欲しい。
今回はナムコが世界に誇るドットイート型アクションの金字塔『パックマン』の紹介でした!
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