『星をみるひと』は1987年10月27日にホット・ビィよりファミリーコンピュータ用ソフトとして発売されたロールプレイングゲーム。
システムの仕様からユーザビリティやゲームバランスなどに常識を逸脱した問題があり今でも伝説のクソゲーと崇め讃えられるタイトルである。
凶悪な難易度
本作はゲーム雑誌「ファミコン通信」において、様々なゲームの凄腕プレイやハイスコアなどを競う「やりこみ大賞」という企画において、普通にクリアするだけで「やりこみ」と認定され表彰された事があるほどの凶悪な難易度である。
ファミコン全盛期のこの時代、クソゲーと呼ばれるタイトルはたくさん発売されたが、本作を超えるレベルのクソゲーは存在しないと言われるほどの絶望的な理不尽がプレイヤーを襲う!
不親切極まりない仕様
ゲームスタート
まずゲームを開始すると主人公は1人ポツンとフィールドマップに放り出された状態でスタートする。プロローグやオープニングのような軟弱な演出は一切無いのでストーリーは全く不明だ。
周りを見渡しても何もないが、実は左に1歩移動すると隠し村が存在している。
しかしこの村は「超能力で隠れている」というクソふざけた設定でフィールド上に村は表示されない。そして全くのノーヒント。
プレイヤーが4分の1の確率で最初に十字キーの左を押せば村に入る事ができ冒険初期の装備などを整える事ができるが、他のキーを押した場合村を見つけることはほぼ不可能となる。
そして後述するエンカウントバランスの崩壊と相まってゲーム進行ができなくなり詰む。
主人公の動きが超スロー
RPGでは主人公の歩みが遅いとストレスになるためゲームによっては「走る(倍速)」などの機能もあるが本作はそのようなユーザビリティな機能は無いだけではなく、デフォルトで歩く速度が異様に遅い。
当時の他のゲームと比較するとドラクエの約半分のスピードであり、1秒に2歩しか動けない。
テレビ画面の端から端まで移動するのに30秒以上かかり、移動しているだけでプレイヤーにストレスを与えてくる。
しかも村人などはなぜか高速で歩き回るため、捕まえて話を聞くのも一苦労である。
エンカウントバランスの崩壊
本作のエンカウントバランスは壊滅的な設定となっており、ゲームスタート直後にも拘らず凶悪な敵と遭遇する。
『ドラクエ』に例えるとゲーム開始直後のLv1の勇者が「ラダトームの城」周辺でドラゴンと遭遇するような感じである。勝てるわけがない。
中でも「ふっかつしゃ」という敵はこのゲームにおける最強のESP(呪文の様なモノ)を使ってくる。『ドラクエ』に例えると低レベルで遭遇する敵がギガデインを唱えてくる様なものである。
しかもご丁寧にこのゲームには基本的に戦闘から逃走するコマンドが存在しない。
「ふっかつしゃ」と遭遇したらゲームオーバー確定の運ゲーである。
理不尽な設定
マップ間の繋がりがおかしな事になっており、入った場所と出てくる場所が一致しないところが多々ある。例えば最初の村から次の町にたどり着いて入る→町から出ると最初の村の横に出る???などという事があちこちで起こる。
他にもクリアに必要な重要アイテムがそこら辺の道端に落ちていて見つける事が超難解であり、しかも全くのノーヒント。
この様に理不尽極まりない設定があちこちに散りばめられておりプレイヤーを絶望の淵へと追い込んでくる。
最後に
本記事で取り上げたクソゲー要素などは、このゲームのほんの氷山の一角でしかない。
他にも理由もなく突如ワープするバグ、一度選択するとコマンドキャンセルできない戦闘、ダメージ床なのにエフェクト効果が全く無いので歩いてたら突然死亡するなど挙げてゆけばキリがない。
その理不尽さから「攻略本などがない場合、このゲームでできることは実質的に“歩く”と“死ぬ”の2種類だけとなる」と評するゲーム誌もあったくらいだ。
恐らく開発陣はデバック作業はおろか、テストプレイさえ絶対にしてないと思われる。
はっきり言って開発中のものをそのまま発売したレベルである。
ファミコン全盛期であるこの時代はたくさんのファミコン用ソフトが発売された。
それに伴いクソゲーも数多く世に送り出された。
しかしどんなクソゲーも慣れれば面白かったり、あまりにも馬鹿げてて微笑ましかったりと愛すべきところは少なからずあったはずだが、このタイトルに関してはその様な要素は微塵もない。
少ないお小遣いを貯めて、本作を5,300円という値段で購入したファミっ子の事を想うと涙が止まらない(笑)。
今回は伝説のクソゲーとしてその名を歴史に刻んだ『星をみるひと』の紹介でした。
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